おつかれさま全ての原発ありがとう署名 提出してきました。 |
岡山で集まった 署名数 1454筆
その署名をもって、8月9日に広島の中国経済産業省へ提出、申し入れをしてきました。
広島より 徳岡 真紀さん 息子 たいじゅくん、真鍋 明子さん 娘 はるちゃん
山口より 原 真紀さん 息子 かいせい
岡山からの自分を合わせて、計7名で向かいました。
中国経産省の担当の方は、隅田さん、上田さん、村上さん、とあと2名
マスコミ関係は、中国新聞が、一社でした。
10:45 入室
10:50 あいさつ、自己紹介をする
徳岡さんが代表して、申し入れ文を読み上げる。
11:02 全員で、黙祷
申し入れ書、署名、添付資料を担当者へ手渡す。
それぞれの地区からの思いを担当者に口頭で、伝える。
この申し入れについて、必ず、文書にて回答を下さい。と念押しをする。
担当の方は、回答する担当は、別になるのでそちらに回答するようにと、伝えます。との返答でした。
11:30頃退室
署名の数
広島 1393筆
岡山 1454筆
山口 310筆 でした。
担当の方の姿勢はとても紳士的でしたが、このアポを取った際に言われた条件の「一切の質問には答えられません」という前提のとおり、それぞれの思いに対しての、申し入れに対しての具体的な返答、会話はありませんでした。
経産省を背負って前に出ているという立場なので、個人的な返答などはできないと思います。ただ、人と人が直に向かい合っているその状態で、個人と個人でも伝わるモノがあると思い、自分の思いを一方的にでも伝えました。
最後に「共生しているものとして一緒に良い環境を作っていきましょう。」と伝えた時に少し心が合ったように思えました。
これは敵が相手がいるわけではなく、本当は誰もが望んでいるはずの近未来、生命存在である限り、宗教、人種、言葉、価値観、スタイルを超えたところで共感できること。
草木が太陽の方へ伸びるように、それぞれの立場でそれぞれのやり方でそれぞれのスピードで大きくてのびのびした道を共に歩きましょう。
経済産業省からの回答が届きましたら、こちらのブログでお伝えします。
みなさん、おつかれさまでした。継続してゆっくり進みましょう。
申し入れを終えた後、徳岡さんの提案で、今日この後いいライブが丘の上であるので、そこでお昼ご飯でもということで。向かったのが太光寺。そこでお昼過ぎからあったのが、海老原よしえさんのライブ。コタンでも、ワッカファームでもライブをしてもらったことのあるよしえさん。会場に行くとあったことのある人、よく話で聞いていた人、会場まで乗せていってもらった明子さんは自分が生まれた病院で働いていたし、なんか縁しかないというアフターアワーズでした。
帰りのバス、眼を開けたら岡山駅西口でした。
~申し入れ文書~
2011年8月9日
内閣総理大臣 管 直人様
経済産業大臣 海江田 万里様
日本における54基の原子力発電所の永久停止を求める要望書と署名
【申し入れ文書】
私たち、「世界の原発おつかれさま会」は、2011年3月11日、東日本大震災以後に、1人のお母さんの「こどもを守りたい、植物や動物も守りたい、大好きな地球を守りたい、」そんな切なる思いからスタートした全世界有志のあつまりです。
自然や人にやさしい持続可能な世の中を作っていくための第1歩は、今までの暮らしを支えてくれた人・もの全てに感謝すること。そこからがスタートだと思い、「ありがとうプロジェクト」を立ち上げました。
『ありがとう』という言葉は、原子力発電所、原子力に関わる方たち、原子力開発者のすべてにも向けられています。これは、「これまでのお役目ご苦労様でした。これから私たちは核のない未来を選択したい」という、感謝と決別の意を表したものです。
これまでの原子力行政の在り方は、日本の、または世界の経済と産業の発展や、便利で合理的な暮らしをつくるためのものであったと理解しています。
しかしながら、この度の震災による原発事故により、原発との共存は不可能である事はあきらかとなりました。私たちは、今後数万年に渡り、何の罪もない未来の子どもたちや生きとし生けるもの全てに負の遺産を背負わせる暮らしを続けたくはありません。
原子力で作られた電力消費の裏には、国内外の多くの被曝者の存在があり、原子力発電の燃料となるウランの採掘、製錬、濃縮、そして発電と使用済み燃料の処分までのどの過程においても、そこにある環境や生態系に与える負荷は深刻なものがあります。
私たちは、原子力に依存した暮らしの在り方と、核の保有に異を唱えます。
選べない電力、環境、税制、それらを司る政治の姿の何処に信を置けるのでしょう?
まさに今、日本から、世界に先駆けたエネルギー政策の方向性の大胆な転換をお願いします。
1945 年(昭和20 年)8 月6 日 午前 8 時15 分 広島に原爆が落とされました。
1945 年(昭和20 年)8 月9 日 午前11 時02 分 長崎に原爆が落とされました。
66年前の8月6日、手のひらに乗るわずか800gのウランで、広島は壊滅し、同じく66年前の今日、8月9日、角砂糖100個分のプルトニウムで、長崎は壊滅し、死の灰が降り注いだのです。このような悲しみ以上の事が、今、日本で起きている事実に目を向け、世界に先駆けた日本のエネルギー政策の方向性の大胆な転換を強くお願いすべく
以下のことを強く求めます。
要望事項
1. 全国にある原発を順次停止し、今後における新規、増設、更新計画等を撤回すること。
2・ 未来の子どもたちに(使用済み核燃料を含む)安全な環境を提供するため、全原子力を廃炉すること
3・ 原発事故により汚染された大地を健全に蘇らせるべく、土壌改良及び補償に力を注ぐこと
4・ 国策として速やかに自然エネルギーへの転換を実現し、世界にその姿を示し普及に力を注ぐこと
5. 軍需を含む原子力事業から撤退すること
6. エネルギーの民主化を実現すべく、送電線の自由化を実現すること
以上の項目を、以上の項目を賛同者の署名と資料を添えて申し入れます。
ご多忙とは存じますが、要望事項に関する見解や回答をホームページでの発表等ではなく具体的に書面で9 月11 日までに戴けますようお願い致します。
尚、この申入書及び貴省の回答書と見解は公開させていただくことを申し添えます。